
18年間 ありがとう
最愛の小鳥
僕には大切な愛鳥がいた。母がずっと大切にしていた小鳥だったのだけれど、高齢に伴い飼えなくなってしまったので僕が引き継いで一緒に暮らしていた。
名前は、「エド」。今でも大好きな漫画である鋼の錬金術師の主人公からとって、僕が名前をつけさせてもらっていた。今思えば、僕が名付けの親だったんだ。晩年は尊敬や親しみを込めて、「エドさん」と呼んでいた。
コザクラインコという小型のインコで、別名ラブバードとも呼ばれるだけに、飼い主にとても深い愛情を向けてくれる。
2024年6月5日、エドさんはちょうど18歳の誕生日に、僕の手の中で亡くなった。
本当に愛情の塊のような子で、最期は泣いている僕の涙を飲んでくれて、苦しむ顔を僕に見せないように逝ってくれた。
人生で、こんなに悲しい事があるのかというほど、親が亡くなったときよりも泣いた。
しばらくは息が普段の半分以下しか吸えなくなり、ふいにエドさんとの思い出がよぎり、道端でも涙が溢れて泣いたりしていた。
数日して、このままではいけないと、生活を改めることにした。
悲しみにくれて僕が堕ちていくのを、エドさんは絶対に望んでいないと。
もっと遊んであげていれよかったのにと、「ごめんね」ばかり連呼するのを、聞きたくはないだろうと。
本当は20歳まで生きさせてあげたかった。だから、エドさんに生きさせてあげられなかった2年間を、僕は人生で一番真剣に、大切に生きると決めた。今までやろうと考えるだけで結局着手しなかったことを、踏み出して、投げ出さずにやろうと、そう決めた。
その意志の中で、一つやりたいことが出来た。それが、小鳥の保護活動の応援だ。
世の中には、ペットを飼えなくなって仕方なく手放す人だけでなく、理解しがたい理由で捨ててしまう輩もいる。
そんな、愛し合い、信頼し合っていた飼い主とお別れした動物、人間の勝手な感情で捨てられてしまった動物達を保護する団体がたくさんある。
僕の愛鳥の場合も母が飼えなくなったときに、本来エドさんを引き取る約束をしていた姉が土壇場で飼うのも猛反発して、行く宛を失くしてしまうところだった。決して他人事ではなかった。
だから、数ある動物の保護団体の中から、小鳥の保護活動をしておられる団体様への支援を始めた。
小鳥レスキュー会
僕の愛鳥と同じコザクラインコの保護に携われそうな団体を探して、埼玉県にある小鳥レスキュー会さんという団体を見つけてボランティアに参加をしてきた。100羽を裕に超える小鳥が様々な事情や理由の元に保護されていた。
僕は余裕のある暮らしをしているわけではないのだけれど、たまに小鳥のゴハンを贈ったりするくらいならできるだろう。旅の途中で埼玉県を通るときは、また保護鳥のお世話もさせていただこうと思っている。
あとは何より、こういった団体の存在を少しでも多く発信して広めていくことが大切だと思った。
一人の寄付では焼け石に水でも、同じように大切にしていた小鳥を亡くした人なら悲しみを理解し、中には賛同してくれて支援の輪を広げてくれる人もいるだろう。
日本中、犬猫ほどではないけれど、調べると少ないながらも小鳥の保護団体はいくつかある。
どの団体にも支援が行き渡り、保護されている小鳥さん達が温かい家庭に引き取られるか、人に惜しまれながら悲しくない最期を迎えられることを、心から祈っています。
愛鳥に誓った、生き直し
僕は、超だらしのない人間だと自覚している。
ほぼ毎日二度寝して、お菓子ばかり食べて、運動もロクにしないし、暇さえあればなんとなくYoutubeを見て、その日どころか人生そのものが暇つぶしモードで惰性だらけで生きていた。
愛鳥が亡くなってから、僕は家にあるお酒をトイレに流し捨てた。体に悪いと分かっていながらも辞められなかったお菓子も、一切買わなくなった。食事は基本玄米食で、ジャンクなものはほぼ食べなくなった。
毎朝、愛鳥の写真を立てて、ヨガと筋トレとボイストレーニングをして、ランニングもしている。
まさに、雨の日も、猛暑の日も、一日たりとも欠かしていない。
これは、「やろうかな」という気まぐれではなく「やらなければ」という決心に変わったからなのだと思う。恥ずかしながら、人生で初めてこんな感情を覚えた。本当に、エドさんのおかげ。
旅の軌跡をなんとなく書こうとしていたブログだったけれど、これからはもっと自分のことを恥も覚悟で正直に発信していこうかと考えた。ダメ人間が変わっていく姿は、いつか誰かの小さな希望にでもなれるかもしれない。
それと、今までは旅をしながらギターを弾いて歌うだけだったけれど、ずっとやってみたかったDTM(パソコンで楽器の演奏を録音したり機械の打ち込みで音楽制作をすること)をやってみようと思った。
今流行りの動画制作も、やるやる詐欺で何も行動を起こさなかったけれど、これも愛鳥への誓いで挑戦してみた。
愛鳥へ捧げる歌動画として、エドさんの49日に向けてほぼ一から調べながら始めてみた。
仕上がりは酷いものだけれど、これが現実で今の僕の実力。
これからまた他の歌動画や旅動画も作って、いつかの愛鳥の命日にはブラッシュアップしたバージョンを再投稿するのが、僕の目標になっている。
愛鳥のおかげで、僕は今、人生の生き直しを始めたところなんだ。
人は変われる
ありがちな言葉だけれど、それを僕も自身の変化をもって、沢山の人に伝えたい。
フラッと旅に出て、留守番もたくさんで淋しい想いをさせてしまったのに、僕のことをパートナーと認めてくれて、最期まで強い愛情を向けてくれた愛鳥に、心から感謝したい。エドさんのために、僕は頑張るし、エドさんのためなら頑張れる。人間、きっかけ一つで大きく方向転換できるのだ。
エド。18年も頑張って生きたね。長生きしてくれたね。世界で一番愛してるよ。
幸せな時間を僕にくれて、ありがとう。
