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おとぎの島、志々島

志々島の皆さんと

僕は、自分で言うのもなんだけれど、女性にすごくモテる。

70〜80代の女性にのみチヤホヤされるのだけれど、どうかもう40〜50才若くあってくれと切に願えど、そんな春はいつまで経ってもやっては来ない。


もう、ずいぶんも前の話。

大好きな映画 『男はつらいよ』 の劇中で寅さんが訪れていた島があり、そこを聖地巡礼する中で出会った心優しい女性(当時70代)との出会いに触れながら、忘れられない離島の旅となった思い出を綴ろう。

目次

男はつらいよ第46作『寅次郎の縁談』のあらすじ

引用:松竹シネマクラシックより https://www.cinemaclassics.jp/tora-san/movie/46

まずは舞台となった寅さんの作品について簡単に触れさせていただきたい。

本作は、寅さんと甥っ子の満男、それぞれの恋と人生の岐路を温かく描いた物語だ。

就職活動に行き詰まった満男が家を飛び出して、それを心配した寅さんが満男を追って瀬戸内海の小島へ向かいそこで療養生活を送る美しい女性・葉子さん(松坂慶子さん)と出会う。

葉子さんは病を抱えながらも穏やかで気丈に生きており、寅さんは彼女の優しさに強く惹かれていく。島での素朴な暮らしの中、寅さんはいつもの調子で人々を和ませつつも葉子さんの抱える事情を知り、彼女の幸せを願って静かに寄り添おうとする。

一方の満男も島の看護師・アキちゃんに心を寄せ、自分の未熟さや将来への不安と向き合いながら少しずつ成長していく。二つの恋模様はそれぞれ切なさを帯びながら進み、やがて別れの時が訪れる。寅さんは自らの想いを胸にしまい、相手の幸せを願って旅立つ。その姿を通して、人生の哀歓や人を思いやることの尊さが、瀬戸内の穏やかな風景とともにしみじみと描かれた、シリーズ後期を代表する味わい深い一作である


僕も大好きな『男はつらいよ』全作は、松竹チャンネルなどで視聴できるよ!

その島の名は、志々島

そんな映画の舞台の一つとなった島は実在しており、香川県三豊市に位置する志々島(ししじま)という、僕が初上陸した当時は人口わずか16名前後だった小さな小さな島だ。

作中ではこの志々島を琴島(ことしま)と名前を変えていた。

香川県フリークならピンと来るだろうけれど、抜群のネーミングセンスだ。
(琴平、琴弾など、香川県の地名には『琴』を含むものが多数あるのだ)

僕にとっては初の四国地方の旅でもあり、この旅以来2~3年に一度は四国のどこかしらを旅をしている。

大好きに、なったんだ。

志々島へのアクセスは以下を参照して欲しい。今は季節により『増便』がある。

引用元:三豊市ホームページ https://www.city.mitoyo.lg.jp/kakuka/seisaku/koutsuu/1_1/1_3/2670.html

島民さんとの触れ合い

波を切り進む粟島汽船のフェリー画像

志々島へは船を使って渡るのだけれど、その港までの道のりがまた大変なのだ。

香川県の北西のてっぺんら辺にある詫間港もしくは宮の下港からフェリーに搭乗する。

当時は観光客があまり訪れない島だったから、フェリーは1日に数えるほどしか出ていなかったので絶対に乗り遅れないように眠気に耐えながら必死に向かったのを覚えている。

そのフェリーの上で、あるご夫妻に声をかけられた。というか、僕はいつもギターを持って旅をしているので大抵誰かしらには声をかけられるのだけれど。

「どの島に行くんですか?」「志々島に何をしに行くんですか?」と。

「寅さんの映画を観て志々島を知り、行ってみたいと思って来たんです。」という話をしたら、乗船していた何人かが喜んでくれて話に混ざってきてくれた。

フェリーが波を切りながら進む音のせいであまり会話は聞こえなかったのだけれど、自分たちの住まう小さな島を目指して遠方から来てくれる人がいるというのは、相当に嬉しいものなのだろうなぁ。

そのうちのお一人が「寅さんがなんたらかんたら」とドヤ顔で言っていたのだけれど、波を切る音でハッキリと聞き取れず、とりあえず笑顔で適当に相槌を打っていた。

これが後々の後悔を生む壮大なフラグであることは言うまでもないのだがね。

島の名物おばあちゃまとの出会い


フェリーを降りて志々島に上陸した僕。乗り合わせた方々に別れを告げ、寅さんの映画に登場した島という情報意外は全く下調べをして来なかったので、まずはひたすら歩いて回ってみることにした。

なんせそれまでは観光とほぼ無縁だった島。午前中に上陸して帰りのフェリーは残りわずか2便。もちろん最後の便で帰るつもりなので時間はたっぷり7時間ほどあった。

島におりて初めて遭遇した生物は、ヤギ。一時期は島のマスコットだったのだけれど、島に放った思惑が失敗したそうで、今はもう居ない。


僕が人っこ一人歩いていない島内をウロウロしていると(集落のある反対側に向かってしまっていたからだ!)ようやく遭遇した島民らしきおばあちゃまが声をかけてきてくれた。

「アンタが船を降りるところから見とった。何しにこの島に来たのかね?」と。

僕は延々と同じ返答をするしかないのだけれど、

「寅さんの映画の舞台になっていたので来てみました」とお答えした。

予想外だったのはその言葉を聞いたおばあちゃまの、まるで乙女のような反応だ。

キャピキャピと、年頃の女学生の如く喜んでくれたのだ。

話を聞くと、当時『男はつらいよ』の撮影をずっと見学しており寅さんをはじめとするご一行や山田洋次監督とまでお話をしたのだと嬉々として思い出話をしてくれた。最初に話す島民がこういう人だと、嬉しくなる。良かった、めっちゃいい人で。
(これはあとで知ることになるのだけれど、このおばあちゃまは志々島の超有名人で島の観光に大きく貢献している方だったのだ。)

そのままおばあちゃまのお家に招かれ「私の宝物」と見せられたのが、コチラ。

イラスト付き、渥美清さんの本気サイン。撮影していないけれど寅さんからおばあちゃま宛の年賀状もあった。滞在中、どれだけ親交を深めたのだろう。

お家の襖に描かれた寅さんこと渥美清さんのサインである。おばあちゃま、ガチじゃん!

撮影から何十年も経っているのに、生活スペースにある襖であるにもかかわらず穴のひとつもなく、綺麗に保存されている。きっと、一生取り替えることはないだろう。こんなに大切にされて・・・

寅さん。本当に、良かったですね。

おばあちゃまとの楽しいひとときを過ごし、僕は島の散策を続けることにした。ギターを持っていたから何か弾いて聴かせてとお願いもされたが、「必ず帰りに声をかけるからその時に」と約束をした。

そしてその時におばあちゃまから、この島の名所であり、島の宝、島民の誇りである、

大楠の木の存在を教えてもらったのだ。

志々島の宝、大楠

僕は、離島が好き。

離島には「何もない」という人もいるだろう。それは近代文明の娯楽がないことを指しているのだろうけれど、

人によってはその『何もない』がとてつもなく居心地が良いのだ。

おのずとその島にある自然に意識と目が向き、忘れてしまっていた感性が呼び覚まされる。

志々島の集落から約10分ほどの軽登山をすることで、大楠には誰しも容易に辿り着ける。

道が整備されているので行きやすいのだけれど、島民の方曰く、大楠が有名になる前はジブリの世界のように鬱蒼とした茂みを抜けて、手付かずの自然の中に立つその姿は実に神秘的であったらしい。

だけど、その当時の姿を知らなくても僕は大楠を、一目で好きになったんだ。

大楠の樹齢は1200年ともいわれている。大きすぎて、写真に収まりきらない。

この島で唯一、見上げても空を遮るような逞しい枝ぶり

瀬戸内の風を受けて騒立つ緑の葉

何百年もこの島を護ってきた、生き神様みたいに思えた。

本当はいけないのだけれど、この時の僕は地面を這う大楠の大枝に腰掛けてギターを弾いたり、瞑想をしたり寝っ転がってお昼寝をしたりしていた(今は大楠の幹周辺には囲いが設けられたのと、敬う気持ちから決してしない)。

時間にして、5時間くらいだったろうか。全く退屈なんてしない、有意義な時間だった。

当時を振り返るとしばらく曲も書けていなくて、心の余裕のない日々を過ごしていたのだと思う。

縁もゆかりもない京都に単身やってきて1年弱。

生き方に迷いを感じていたその時この場所で、一人きりで立ち止まれて良かった。

大楠の枝の上でお昼寝しながら撮影している。今ではできなくなってしまったけれど、夏でもひんやりと心地よく受け止めてくれた感触を忘れてはいないよ。
近年になって大楠の周りは綺麗に草刈り整備がされ周遊出来るようになっている。

歌唱・さよなら志々島

大楠での心洗われる時間を過ごした僕は、最終のフェリーで島を後にするまでに残り1時間を切っていた。

僕はまだこの島で、果たさねばならない約束がある。

大楠のことを教えてくれたおばあちゃまに、お礼に歌を歌うことだ。

おばあちゃまのお家に寄ってみたが家にはおらず、港の方に向かいつつ残りの滞在時間はおばあちゃまの捜索に費やされるかと思っていたのだけれど、事態は僕の想像の遥か斜め上の状況になっていた。

島の一番の広場、いせや商店さんの前に差し掛かると人が集まっており「この人、この人!」とおばあちゃまに手招きをされた。

行きのフェリーでお話ししたご夫妻もおり、どうやら「いせや商店」さんの関係者だったようだ。

志々島のいせや商店さんといったら寅さんの映画はもちろん、志々島の取材でほぼ必ず建物が映される代表的な場所の一つである。

「すごーい!いせやさんだったんですね!!」

「だから、船の上でそう言ったじゃないですか・・・」

・・・なるほどな、それを言っていたのか…。

志々島には買い物をするところが、無い。
(僕の初上陸時は営業していた「上田商店」さんという志々島唯一のお店もこの後に閉業している)

島を訪れる人で、この『いせや商店』さんの中を見たいという人は多いだろう。僕は遅ればせながら出会えた縁に感謝して、中をたっぷりと見学させていただいたよ。予期せぬ機会だったから写真を撮り損ねてしまったのだけれど確か、お線香とか洗剤とかあったよ。食べ物は、ない。

そして、島の方数名が集まってくれていたのはおばあちゃまの呼びかけにより、僕の歌を聴いて下さるためだった。

僕が訪れた少し前にテレビの番組で芸能人がロケに来たそうなのだけれど、
「◯◯が来たときよりも良かったわ!」と言ってもらえた。

志々島の花といえばマーガレットなのだそうで、

マーガレットの歌を作ってよ

と言ってくれた人もいた。
(ちなみにその約束は果たし、あとは聴いていただくために行くだけとなっている)

そしてたまたまその日は島のお祭りがあったようで

「一緒にお祭りに参加して、夜にもう一回歌ってくれないか?」

とお誘いまでしていただけた。

なんて朗らかな島民性なのだろう。残念ながらお祭りに参加するイコール最終便には乗れなくなってしまい翌日からの予定に影響が出てしまうため、丁重にお詫びをして後ろ髪をひかれる想いで島をあとにしたのだった。

去り際、僕はおばあちゃまにある質問をした。

「不便そうだけれど、この島に居て幸せですか?」

帰ってくる答えは、予想はついていたけれど、それでも僕の心に強く刻まれた。

「幸せだぁ」

足るを知る

人が幸せであるために、過剰なお金や物の豊かさなんて、必要ないんだ。

歌唱後、島を後にする前の記念撮影。こんな格好で島を訪れて歌いもしないで帰っていたら、ただの妖怪の襲来だろう。今でも香川に行くとご飯食べに行ったり、泊めてもらったりしているよ!

歌唱・ただいま志々島

志々島をあとにして京都に戻ってからも、僕の心には志々島の余韻が淡く残り続けていた。

あの優しい島の方々に、何かお礼ができないかな・・・

答えなんて、すぐに浮かんできた。

こういうとき、僕には僕なりの、心を込めた精一杯のお礼の仕方がある。

それは、その旅を歌にすること。

大楠の枝の上で過ごす時間の中で、実はサビのメロディはほぼ出来ていた。

そして志々島初上陸からちょうど2年後の夏、僕は志々島に戻ってきた。

粟島汽船のフェリーから見える、志々島の画像


おばあちゃまには、あっという間に再会できた。
(毎日フェリーから誰が降りてくるのか見ているんだって。)

「船からおりてくる姿を見て、アンタだと思ったわ!」

・・・確かにな。ギターと和傘を持って上陸する人間なんて、僕ぐらいなものだろう。

改めて2年前のお礼と、おばあちゃまに教えていただいた大楠のおかげで出来た志々島の歌を聴いて欲しいという想いを伝えた。

歌いながら様子を見ていると、おばあちゃまは涙を流しながら聴いてくれていた。

聞きたかった言葉も、見たかった涙も、全部おばあちゃまからもらった。

この方に出会えて、本当に良かった。

我が愛傘を持ち笑っている、左の女性が志々島の有名人、おばあちゃまこと、孝子さんだ。


この志々島の歌には、タイトルがある。

寅さんの映画に『琴島』として登場した、志々島。

作品の中にしか存在しないはずの、架空の、おとぎばなしのような風景。

そんな島に、僕は本当に訪れ、映画でみた景色の中を、寅さんが旅したように旅をしたのだ。

だから、こんな名前をつけたんだ。

おとぎの島

そこにいると どこにいても波の音が届く
丘に立つと思うままに 海が見える

空を望む視線を阻むものなんてなくって
人の心の琴線に触れてくる島

そこは忘れかけていた信頼の
使り方を優しく手ほどき
取り戻させてくれると思わせる
ぬくもりに満ちている

御伽話の中で観ていた世界が今 目の前にある
そこは美しい花が咲いている

昔訪れていたかのような懐かしい気持ちにされる
いつか彼の島に あなたも巡り会える


そこにいると目を閉じても 遠くがわかる
浜に立つと耳を澄ませば 鳥になれる
終わりのない積み木なんて築く手を止める
白い紙に白い色で描いたような島

時に期待しすぎていた自分に
苦しめられることもあるけれど
そんな時にはもう一度あの場所で
風の声を聴かせて

御伽話の中にいるように 穏やかに時が流れる
そこは神々しい樹が島を護る
聞きたかった言葉が見つかる
幸せの糸口がわかる

事無し しじまに 願いは叶えられる
いつか彼の島にあなたも巡り会える

天空の花畑

僕が初上陸してから程なくして、志々島は世界的な注目を浴びるようになる。

もちろん、瀬戸内海に浮かぶ小さな島に凝縮された魅力は持ち合わせていたけれど、近年の名声は見つけてくれたメディアの発信力のおかげもある。

元々、志々島は『花の島』と呼ばれていたそうなのだけれど、高齢化によりしばらくの間、維持ができていなかったそうなんだ。

それをおばあちゃま初めてする有志達が丹精込めて復活させたのが、島のてっぺんにあるお花畑。

それが天空の花畑としてドローン空撮などで一気にバズったのだ。

志々島名物、天空の花畑
天空の花畑からの眺め。これは、有名にならないほうがおかしいよね。今はおばあちゃまのとこの、お嫁さんがお世話をしておられるよ。

僕がたやすく乗船できたフェリーも、今では順番待ちする行列を成し、花期には増便までされるほど爆発的な人気を博することとなったのだ。

僕が最後に志々島を再訪したのは2023年だったけれど島には大勢の人が歩き回り、すっかり人気観光地となっていた。

おばあちゃまもご高齢なのでお花畑の手入れからは離れており、2023年に再訪したとき僕のことは覚えているものの結構記憶が曖昧なようなところはあった。

いいんだ。僕のことは、忘れられても。

おばあちゃまが蘇らせた天空の花畑を求めて大勢の人が島を訪れる光景を見守りながら、穏やかに長生きして欲しいんだ。

僕もいつかまた、彼の島に、再び訪れる日を楽しみにしているよ。

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